Profile池田千恵プロフィール

朝活ですべてがうまく回りだす

池田千恵
株式会社 朝6時 代表取締役社長/早起きトレーナー/国家資格キャリアコンサルタント
1974年生まれ 福島県いわき市出身
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<著書>
・「朝4時起き」で、すべてがうまく回りだす!
・朝活手帳
・「朝1時間」ですべてが変わる モーニングルーティン
・絶対!伝わる図解 面白いほど通るプレゼン作成術
・夢が現実化する「1枚図解」
・描いて共有! チーム・プレゼン会議術
・朝の余白で人生を変える

>>著書一覧はこちら

略歴:

    • 慶應義塾大学総合政策学部 1999年卒業

    • ワタミフードサービス株式会社(現 ワタミ株式会社)  1999年4月~2002年7月
      営業部、商品部、子会社安全安心食卓研究所(現 農業生産法人 有限会社ワタミファーム)にて営業企画、メニューブック作成、小冊子の企画作成に関わる。

    • ボストン コンサルティング グループ 2002年9月~2008年8月
      資料作成専門部署にて、毎日100枚、6年間で7万5千枚以上の資料を作った経験から考えをまとめる、人を動かす資料を体系化。新人コンサルタントにパワーポイントの活用法を伝える社内講師を担当。アンケート結果は常に90%以上が「大変満足」。社内活性化タスクフォースメンバーとして、社内留学制度、社内カルチャースクールイベントを企画、立案、実行。

    • 図解化コンサルティングCONECTA  2009年1月~2015年7月
      プレゼンテーション資料作成支援、思考整理、情報発信、時間管理、目標達成、女性のキャリア形成などテーマにコンサルティング、講演、研修、著述活動を展開。2009年に出版した『「朝時起き」で、すべてがうまく回りだす!』(マガジンハウス)がビジネス書では異例の10万部を超えるベストセラーとなる。2010年には『朝活手帳』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)をプロデュース。10年連続で出版される人気手帳となり、「朝活」関連書籍は2019年2月現在24万部となっている。

    • 株式会社 朝6時 2015年8月~現在
      図解化コンサルティングCONECTAを法人化&社名変更。研修講師業に加え「ひとりでできる」「頭脳系準備作業」を「朝イチで」集中して行う方法を社員に指導、定着させることで会社全体の生産性を向上し、売上げを上げる支援をする朝イチ業務改善コンサルティングを展開。個人に対しては、キャリアの方向性を決めて前進したいビジネスパーソンが、 「朝時間を活用し」「活きる人生計画の立て方を学ぶ」コミュニティ、池田千恵の「朝キャリ」をスタートさせる。

■どうして「すごいあの人」みたいに私はなれないんだろう?ともがいた青春時代

キラッキラの、大成功している人たちの成功体験。本を読んだり講演を聴いたりしたときは「よし!頑張ろう」と思うけれど、「で、そのために私はどうしたらいいんだっけ?」と立ち止まったり、自分のダメさ加減と比べて落ち込んだりしませんか?

私もモヤモヤ期が長かったので、すごい人の背中がすごすぎて、どこからどう追いかけていったらその人に追いつくか、と思うと気が遠くなったことがあります。

私の略歴だけを見て頂くと、「キラキラキャリア」のように見えるかもしれません。しかし私は、中学の時の担任に「IQが低い」と言われたトラウマのせいで、学歴や勉強コンプレックスに長年悩んでいました。

「あの人」みたいになれない自分が許せなくて、

「あの人」みたいになるためにめちゃくちゃ勉強しました。

いつもいつも、他人と自分を比べて生きていました。でも、前ばっかり向いて欠乏感から勉強しているから、いつまでたっても、「あの人」には追いつかないし、「あの人」は、私が勉強しているうちにどんどん進化していくからいつまでも超えられないのです。

受験勉強もことごとく失敗。浪人し、テレビもない寮生活で1年間友達もつくらずに勉強したのに、また志望校に落ちてしまいました。「あの人」は現役で志望校にラクラク合格したのに…。

■夜型から朝型へシフト。徐々に人生が回りはじめた

1年浪人してなんとか滑り止めで入った大学。ダメだったものは仕方がない。気持ちを切り替えようと努力しましたが、田舎の公立高校でずっとのんびり過ごしていたせいか、どうしてもお嬢様大学の雰囲気になじむことができず、夏休みを過ごしていました。

決定的な出来事は大学内で受けた差別でした。一番仲が良くて、何でも相談していた友人が、私の服装や訛りについて陰口をたたいていると知ったのでした。性格などで陰口を言われるのならまだしも、両親の家柄や出身地について侮辱するようなものだったのです。この出来事以来、親の地位や財力、住んでいる場所や持っているものなど、他の誰かの威光に頼って人のことを見下す人間にはなりたくない!自分で自分の人生を切り拓いて行くような人間になりたい!と強く思うようになりました。

(今振り返ると、自分の強烈なコンプレックスが、何気ない言葉を差別だとゆがめただけかもしれませんし、きっと私だって「滑り止めの大学だ」と差別していたのでしょう。でもまだ未熟だった19歳の自分にはそれが耐えられませんでした。)

9月の後期が始まる前、「私はこのままで本当にいいのか?」と自問自答。来年また受験して、別の大学に入り直そう、どうにか両親を説得しよう、と決意しました。

でも、我が家は決して裕福なわけではありません。田舎から東京の予備校の寮に入り、1年浪人もさせてもらっただけでも大変な負担です。その上私立の大学に入れてもらって、それをやめてさらにもう一回大学を受け直したい、なんて、とても言えた義理ではありませんでした。

でも、本当に自分のエゴでしかないですが、どうしてもやり直したかったのです。私は父母に自分の想いのたけを綴った手紙を書きました。父母は生活を切り詰めて再受験を後押ししてくれました。今でもその時のことを思うと胸が熱くなります。

それから私の再受験生活が始まりました。今までの延長線上に未来はない、半年間という短い期間の受験勉強で確実に合格するためには今までと同じではいけない、それまで夜型でダラダラ過ごしていた自分から脱却しなければならないと、ライフスタイルを朝型に変えたことが、すべてのスタートです。

そのころはヨジラー(朝4時起き)まではいきませんでいたが、毎朝5時半に起床し、朝7時には、横浜の1人暮らしのアパートから、代々木にある大学受験予備校の自習室に通う生活を送るようになりました。

毎日「自分はちゃんと起きている」という自信と、計画通りにきっちりと勉強を終わらせることができた達成感が、「私って、やるじゃん」という前向きな気持ちを生み、それは勉強の継続と成果を上げるパワーとなりました。

また、お金がなかったこともありますが、予備校の授業を厳選しました。本当に大切で、価値あると感じる2コマだけ受けるように絞りました。1浪時代は人気講師の授業をたくさん受けるだけで満足していたのですが、限られた大切な授業なのでとても集中して受講できるようになりました。

その甲斐あって、2年越しでやっと志望校に合格しました。朝型生活はすばらしい!と実感した最初の出来事が、この大学受験でした。

■希望校に受かりさえすればすべてがうまくいくと思っていた

そうして入った志望校。これから全てがバラ色になると期待していましたが、そううまくはいきませんでした。ゼミでは目立った発言ができず、かといってゼミ以外の勉強の成績もパッとせず、これといった趣味もありません。それにひきかえ、周囲の人たちは頭もよく、充実した日々をすごしていて、とても輝いてみえました。なぜ私は彼らのようになれないのか…。また「あの人みたいになれない」という気持ちがもたげてきます。悶々としたまま時間だけが過ぎていきました。

受験勉強で早起きに目覚めたのにもかかわらず、大学時代の4年間は早起きの必要性を感じず、惰眠をむさぼる日々を送りました。

大学に入学するまで、私は与えられた問題と答えを徹底的に暗記し、聞かれたらすぐ答えられるような勉強ばかりしてきました。中学時代、担任教師に「IQが低い」と言われた私ですが、暗記をすればテストでそこそこ良い点がとれます。この「勝ちパターン」がずっと染みついていたのです。しかし、高校までと違い、大学の勉強では自分の頭で考えることが要求されます。今までは渡された地図に沿って淡々と進んでいけばよかったのに、いきなり地図を取り上げられたような気持ちになっていました。

ついには、自分には存在価値がないとまで考えるようになり、拒食症や過食症になり、半分引きこもりの生活を送るようになってしまいました。今よりも10キロ以上痩せていて、マッチ棒のように細かったのにもかかわらず「私がダメ人間なのは、太っているせいかもしれない。痩せたら人生が変わるかも」と思い込み、1日にカロリーメイト1.5箱、つまり600キロカロリーしか摂らない過激なダイエットを繰り返しました。その反動で、1日の必要エネルギーを大幅に超えるデニッシュ食パン一斤を15分で食べ、トイレに走って吐いたりしました。「太っている見にくい自分を外にさらしたくない」とカーテンを閉め切り、暗い部屋から一歩もでなかったりしました。実家に帰るとたくさん料理がでてきて食べ過ぎてしまうからと、わざと1年に一度しか帰りませんでした。

結局、ゼミも途中で辞めてしまいました。当時ゼミの卒論を出さなくても卒業できるシステムだったので、そんな私でも何とか卒業できました。「慶應義塾大学卒業」の学位をもらえさえすればなんとかなる。それまでは、息を潜めてなんとか頑張ろう、そう自分を励まして生活していました。

当時は就職氷河期のまっただ中。それでも「慶大卒」のブランドは効くものだと思い込んでいましたが、成績も悪く、目立った活動もしていない私は書類すら通りません。30社も落ちてしまい、ワタミだけが私を拾ってくれました。最初は興味本位で行ってみた会社説明会でしたが、社長の「人は仲間や愛する家族と一緒にいて、美味しいものがあるとき、素晴らしい笑顔をする」という言葉に心を動かされました。「学生時代に落ちこぼれだった私を支えてくれたのは食を通じた笑顔だった。こんな私でも、ワタミだったら素晴らしい笑顔をもっと生み出す仕事ができるかもしれない」と思ったのです。また、起業家精神を創業社長の近くで学べる、そんな機会はめったにないとの思いもありました。(当時のワタミはベンチャーで、社員数もまだ270人でした)

しかし、ワタミで私は評価されませんでした。仕事のできない自分を棚にあげ、権利と要求だけを主張し、「私がワタミを選んであげた」と思い上がった、傲慢社員だったのです。「ダメな自分は大学時代でこりごり、ダメな自分を認めたら、また大学時代のように心を病んでしまう」と思い、攻撃的になることで自分を守っていました。与えられた環境がどんなものであっても、まずそこで徹底的に仕事をして認められなければ発言権は生まれないのに、大きな勘違いをしていました。会社は手を焼き、私は店長としてマネジメント経験を得ることがないまま本部に異動となり、社員が私ひとりしかいない子会社に出向となりました。

このままでは20代で窓際社員になり「ダメ社員」のレッテルを貼られてしまう!そんなのは絶対に嫌だ!そこで思い出したのが、早起きで大学受験に合格したという成功体験でした。

もう一度早起きを始めたら、人生が逆転するかもしれない。

早起きの威力なんてすっかり忘れていた当時の私には、朝4時台に起きるのはムリでした。とはいえ、少しだけ早く出社して、仕事が始まるまえに考える時間を作ろう、と思ったのです。

  • それまで朝7時起きだったのを、6時半起きに変更
  • 8時にファストフード店到着
  • 8時半まで、昨日の自分の仕事を振り返り、どうして怒られたのか、どうすれば良かったのかを書き出す

その結果、徐々に仕事もはかどり、評価されるようになってきました。

その後さまざまな縁が重なり、外資系の戦略コンサルティング会社の資料作成部門に配属となりました。そのころには朝4時起きが習慣となっていました。最初は朝5時半起きからスタートしたのですが、朝5時半起きだと、せっかく気分が乗ってきたときに出社時間になってしまい、物足りなくなったのです。そこで生活パターンの改善や睡眠の工夫を重ね、朝4時起きで自分だけの時間を十分に確保してから出社する、というパターンを身につけました。朝9時の始業から全力スタートで仕事ができる環境を整えていくと、思うように仕事がはかどるようになっていきました。そのことで劇的に作業効率が上がり、仕事上でも徐々に評価されるようになりました。

会社でも結果をだしながら、趣味の飲食の資格を次々と取りました。会社の許可を得て、週末限定で本業に支障がない範囲で、ワインやパン、チーズなどの教える教室も開くようになりました。

■本当の解決策は、自分の過去に隠れていた

もともと私は料理が大好きでした。私は幼いころから父親の仕事の関係で転校を繰り返しており、そのせいか、内気で人見知りが激しい性格でした。そんな私がバナナケーキをつくって学校に持っていったのがきっかけで、クラスのみんなと打ち解けることができたからです。「口ベタで恥ずかしがり屋な私でも、料理に気持ちを載せることで人と仲良くできる」ということに気付いてから、ずっと料理研究家になりたいと思っていました。

そこで朝時間で勉強を重ね、数々の飲食の資格をとってきたわけですが、いつまでも達成感がありませんでした。お客様にそのサービスを提供したとき、努力に見合う代金をいただく自信がなかったのです。また、料理とお酒が好きすぎて、徹底的に食材にこだわることで原価割れを起こして全くビジネスになりませんでした。あまりに好きすぎると冷静な頭でものごとを判断することはできないのだと感じました。

また、私が得たワインやチーズなどの食材の知識は、資格を付与した協会が出している教科書以上の価値を提供できないと思いました。ワインエキスパートというソムリエに準ずる資格を持っていても、この道20年のソムリエや、シニアソムリエの前で堂々と張り合える自信もありません。それでもなんとか独自路線を探れないかと考えました。「発酵」つながりで、パン、チーズ、日本酒などの資格を取得し、その合わせ技で勝てないか、など試行錯誤を続けたのですが、やはり、私の場合は「好き」が強すぎてうまくいきませんでした。

そこでいったん、資格所得などのスキルアップをやめて、今の、まっさらな私には何ができるのか?という、「自分の棚卸し」を、頭がスッキリしている朝の時間に始めたのです。

幸いコンサルティング会社で図解のスキルを身につけていたので、現状をロジカルに分析することは得意でした。

その結果分かったのは、自分が弱みと感じていたところは、見方を変えれば強みにもなる。他人のほうが優れている部分も確かにあるけれど、自分だって、他人に比べて優れたところがないわけじゃない、ということでした。

●私は器用で優秀な人たちとは、生い立ちも環境も性格も違う。つまり前提が違うのに、まるで前提が同じであるかのように、彼らのフィールドにむりやり自分をあてはめようとしていたんだ、だからずっとずっと辛かったんだ

●彼らと同じ土俵で張りあうんじゃなくて、私の得意なところで戦おう

と吹っ切ることができたのでした。

今まで見ないことにし、一生懸命スキルアップしたことをやめ、改めて自分を棚卸しした結果分かったのは

「私は私でしかないし、私にしかなれない」ということです。

もう周囲をうらやむのはやめよう、自分にできることを考えていこう、と気持ちを徐々に切り替えることができるようになりました。

その結果分かったのは、「実は私は料理が好きではなかった」ということでした。実際レシピ本を出版したい、料理研究家になりたいと考えていたくせに、小さじ1杯の砂糖の量の試行錯誤が面倒くさくて仕方がないのです。私は料理が好きなのではなく、「料理を通じた人との関わり」、つまりコミュニケーションが好きだったのです。

このように、腰をすえて、朝の時間に、図解で自分の過去を紐解くことで、本来の自分の価値に気付くことができると知ったのは大きな発見でした。

この話からあなたに伝えたいことは、「あなたが生きる武器は、実は、あなたがすでに持っている」ということです。前を向きすぎて、アウトプットだけを続けていては、本当のあなたの軸は見えないのです。

違う自分になってから、周囲を助けよう、と思って、何年勉強を続けてますか?

そうでなく、今、へっぽこで、どうしようもなくて、ダメダメな自分の良さを見つけて、その良さで周囲を助けるんです。

未来は不確定でも、あなたの過去は裏切りません。あなたはこれまで、めちゃくちゃ頑張って努力してきたのです。その努力をないがしろにしてどうして違う自分になろうとするんでしょうか。

すごい人のすごい姿に、「うっ」となったら、そんなときこそ自分のやってきた過去、歴史を振り返ってみましょうよ。

自分の過去を振り返るのは時には辛いこともあるでしょう。見たくなかった事実を見せつけられるかもしれません。でも、辛さの中に今後に繋がる根本的な解決策が見えるはずです。嫌な気持ちにフタをしたり、見過ごすのではなく、見据えるのです。

この作業は夜やるとウツウツとしてしまいますが、朝なら、前向きな気持ちで未来に繋がるアイディアが浮かぶはずです。

■そして私は、「朝活」を世に広める活動をはじめました。

この思いから、2008年、私は長年お世話になったコンサルティング会社を退職しました。社内の数百人に朝の良さを知ってもらうのではなく、数十万人、数百万人単位の人たちに、私の経験を伝えたかったからです。

お陰様で2009年に出版した始めての本『「朝4時起き」で、すべてがうまく回り出す!』(マガジンハウス)は3万部でベストセラーと言われるビジネス書界では異例の12万部となり、文庫、ムックとなりました。「朝活の第一人者」とも呼ばれるようになりました。

「この本は血のにおいがする」と、ある人に言われたことがあります。血、というと物騒ですが、「池田さんが戦って、たくさん傷を負って血を流してきたその記録だ」ということだそうです。

ノウハウ本にもかかわらず、「人生が変わった」「生きることを諦めていたのに希望をもらった」という感想をいただくのは、ダメな自分から目をそらさずに生きることの大切さを感じ取っていただけたからではないかと思います。

私は、朝型が絶対的に正しい、というつもりはありません。遺伝的に決まっていて、生まれながらにして夜型だという人もいると聞きます。「私は夜型のままがいいんだ」という方を無理に朝型に引きずり込むつもりもありません。

ただ、もし夜型の方の中で、仕事が終わらない、残業が多すぎる、夜の断れない付き合いが多い、1日にカタをつけないと気が済まない、将来が不安で眠れない、などの理由で、「望まない夜更かし」をしている方がいるのであれば、試しに朝型生活を初めてみませんか?と提案しているのです。

私自身、もう朝なんて一生来ないのではないか、と思うくらいの絶望を感じたとき、いつも早起きが心の支えになってくれました。どんなに辛い夜でもお陽様は必ず昇ってきて、よし、頑張ろう!と思える朝がありました。

だからこそ、体験から自信を持って言えるのです。「朝型生活が人生を変える」と。今、日本の自殺者は3万人を超えると言われています。望まない夜更かしをする人が減れば、うつ病患者や自殺者は減ると、私は本気で信じています。

■あなたの人生はすべてがうまく回りはじめる

要領が悪く、頑張っているのにいつもボタンを掛け違って失敗を繰り返し、人と比べては落ち込んでいた私でもできたのです。

あなたの未来は、あなたの過去の積み重ねです。頑張ってもうまくいかない、と悩む人は、積み重ねてきたあなた自身の歴史をないがしろにして、一足飛びに「なにか違う自分」になろうとしているのではないでしょうか。

違う自分を探すより、今の自分を武器に換え、物事に取り組んでみましょう。現状を打破する鍵はあなたの過去に眠っています。自分には何もないと思っても、積み重ねてきた経験は、あなただけのものです。

ふがいない自分を責め、憂鬱な現状を嘆き、「なんでこうなるの?」と叫びたくなるような出来事があったとしても、そこから楽しみを見つけつつ前を向いて這い上がり、進んでいきましょう。過去の挫折や失敗は、あなたがそこから這い上がるプロセスを経て、ますます光り輝くのです。

「これだけ自分は頑張ってきたんだから、きっとこれからも大丈夫」と思えるようになったとき、あなたの人生はすべてがうまく回りはじめます。

そのためのお手伝いをします。一緒に未来に向かっていきましょう!